ホスホス独占企画 No.86107 | ホストクラブ紹介・ホスト求人サイト ホスホス

ホスホス独占企画
独占企画
2021年12月28日(火)
#R氏の「愛本店50周年記念イベントに行ってみた」なう!!~50年史~
今回は、11月25日・26日で50周年を迎えた歴史ある『愛本店』さんへ、歴史赤点常習犯でどこか抜けているホスホスのR氏ことRan2が年内ラストの突撃!!★Part2★
歌舞伎町ホストクラブ
東京都新宿区歌舞伎町2-22-5 叙々苑新宿ビル2 B1
TEL:03-3208-6435
ギャラリー
突然ですが、
#R氏の「愛本店50周年記念
イベントに行ってみた」なう!!
~50年史~



どうも~R氏です~ぅ↑


『愛本店』50周年独占企画Part1をご覧いただきありがとうございます!


さて、Part2ではちょっとだけ真面目にいこうかなって思ってます☆(おっ?)

…まずR氏,思ったんですよ
たかがこんな宇宙人が50年を語れない…と。(当たり前)

そこで、こちらの1冊の本を読みました。(拍手)


「夢幻の町-歌舞伎町ホストクラブの50年-/石井光太作」

だ が し か し…
最初に言っておきます!!
R氏歴史大の苦手でして赤点常習犯でしたので…(逃走)

※つまり、50年間って色々ありすぎてお伝えしきれないので大事なところだけ まとめます(ウインク)

それではホストクラブ50年史へ、いってらっしゃいませ☆

はい、まずこれご覧ください~☆(画像頼りw)
-ホストクラブの成り立ち
なんと主要な店舗は、『愛』2号店である『ニュー愛』。
他『国際』『千扇』『シルクロード』『キャッツアイ』『夜の帝王』の7店舗!

-故愛田名誉会長なしでは語れないホストクラブ
…28歳で「ロイヤル」入店
格別ハンサムというわけではなかったが、話術が抜群に上手だったことから、すぐにエースへ☆(さすがっす)
「ナイト宮益」に引き抜かれ、「ナイト東京」を経る

1971年独立し、新宿2丁目に自らのお店『愛』オープン
1972年『ニュー愛』オープン
1973年『愛本店』歌舞伎町へ拡大移転


もう無理、数字と単語とR氏爆発しちゃう…(笑)
なので、愛田さんのプロフィールどうぞ☆
あ、ぜひこれもご一緒にどうぞ☆
追悼・愛田 武~「ホストの帝王」軌跡を辿って…~
(大きい声で言えないけど詳しく載ってますw)
-朱美夫人との出会い
…多くは語りませんが…
一言でまとめると「LOVE AFFAIR~秘密のデート~/サザンオールスターズ」
を超えた関係。愛田さん強しっ!!
けど、第1印象は正直笑いましたすみません(土下座)
-独特の制度を発案、そして導入
…現代に、保証制度があるのはここが始まりなんです!


最低保証制度
店はホストに対して1日当たりの最低保証金を支払うことで生活の基盤を支え
売り上げのある月もない月も安心して働けるような環境作りを整えた
プラス(現在でいう賞金みたいなもの)、諸手当が加算、指名料を自分で決められる、皆勤賞、準皆勤賞などがもらえるなど

※この間にも、朱美夫人が長年もっとも目にかけた零士というホストや
そんな零士が思い出に残ってる「オカマ芸者」と呼ばれていた正太郎など
濃い方々が登場し、活躍…(濃いけど割愛ごめんなっさい)

-野口専務の登場
…現在、『愛本店』の専務を務めていらっしゃる野口専務。



-高見会長登場
…野口さんがキャッツアイ入店翌年後に『トップダンディー』会長となる高見翔キャッツアイに入店
入店した月に新人賞受賞、翌月ナンバー2へ(この頃からカリスマ…)、1年ほどでキャツアイ退店



-1990年代半ば、愛田観光は歌舞伎町のホスト街における不動の王者の地位へ
…ホスト業界で愛田武はカリスマと称される。店を業界一の人気店に育て上げたことも確か
それ以上に大勢の人を引き付ける魅力も備えていたことが大きい
愛田武の存在そのものが最大の優位性だった

-1990年代バブル崩壊後
…ショーパブ、サパークラブができる

※この間にも、色々なことが起きたり・有名な方々が誕生したりします(割愛の仕方が雑w)
◆『ロマンス』が誕生
◆『セシル30』というお店が『トップダンディー』に改名、現在に至る
◆『スティンガー』の手塚マキさん
◆『愛本店』城咲仁さんが誕生したり
とにかく、情報がたくさんなんですよ!!(焦)

-1999年~2000年ホストブーム
…2000年にはホストクラブは100店舗を超えた
「ホストブーム」の始まり、メディア露出が増え始める

-2004年10月23日夕方、新潟県中越地震発生
…手塚マキさんがスマッパ!をオープンしてから1年後のこと
手塚マキさんは仲良くしていたホストクラブ経営者4名と義援金を寄付


-2005年4月頃、歌舞伎町浄化作戦
…「歌舞伎町火災ビル」をはじめ、都知事は東京都迷惑防止条例を強化して取り締まり体制を強化
ホストクラブが苦しんだ末に考えたのは、現在で言う2部営業
風営法は「午前0時から日の出」までが営業禁止の時間帯であり
日の出の午前6時から始まる早朝営業のホストクラブ営業を開始

※そしてここでもまた色々と変化があったり、
2007年「歌舞伎町ホストクラブ協力会」ができたり
◆初代会長に愛田さん
2008年「リーマンショック」発生、ホストクラブのグループ戦略が急成長
◆「トップダンディー」や「エアー」

-2011年3月11日、東北の太平洋沿岸部を中心にした東日本大震災が発生
…これは、歌舞伎町のホスト街にとって前代未聞の大打撃を与えることになった…
放射能汚染の噂が広がり、街を離れていったホストに代わって若い男の子たちがホストを目指し集まってきた

◆そんな若手ホストたちが起こしたムーブメントがファッションの変化
…今までのホストのスタイルはスーツが定番
新しい世代のホストたちは、ハット、パーカー、ジーンズ、スニーカーなどカジュアルな私服へ
メール、ブログ、掲示板からツイッターをはじめとするSNSへ連絡手段も変わっていった


-2018年10月25日、愛田武の訃報
…営業中の『愛本店』に誰もが恐れていた連絡が入る



-現在の歌舞伎町ホスト街
最近では、また賑わいを取り戻しネオンに輝く歌舞伎町
そして沢山の人々が夜になると行きかう…



-そして新型コロナウイルスと現在
2020年春、新宿歌舞伎町を襲った新型コロナウイルス…
バブル崩壊、歌舞伎町浄化作戦、リーマンショック、東日本大震災
これまでにも数々の痛手を受けてきたが比較にならないくらい甚大な影響を受けた(うむ)
誰もが未知のウイルスに怯え、生活も先が見えず
不安な日々が続きました。(ガクブル)

そんな現在は、医療の発達により研究が進み、
ワクチンが普及し感染者も減少傾向です。
(※感染対策は継続してねっ☆)



最後に、R氏50周年記念イベントにお邪魔したときお話したねん…


ぜひ壱代表の思いよ伝われ。(念~!)


-叙々苑ビルから、現在の荒生ビルへ
壱代表:19年働いた大箱から小箱へ、この大きさで上手くやれるか不安だった。
逆に小箱になったおかげで“みんなとの距離が近くなった”。
元の場所の愛本店に戻れるか、確定ではないがそこに戻るための組織の一本化ははかれたと思う。

R氏:皆さん、もちろん元の場所での愛本店で働きたいという思いはきっと強いと思います。
あのビルにはきっと深い思い入れや、たくさんの方からの憧れ

壱代表:そうですね、やっぱり愛本通りって呼ばれる場所にある箱で
そこで働きたいと思う若い子たちは多いでしょうし。


R氏:50年ってかなり長いですよね…
今、50年を迎えて何か伝えたいことなどありますか?
-50年を迎えて、その先へ…
壱代表:半世紀って、想像できるものじゃない。
20歳から働いていて、飲食店としての50年ってなかなかないじゃないですか…
なんか大きすぎて自分でも受け止めきれないものもありますね。

“半世紀、また50年も愛されるようなホストクラブ『愛本店』であるように努力をしていきたい。”

-長年ご愛好いただいている方、現代の若い子たちへ
壱代表:当時のホストクラブの流れはなるべく作ろうとしていても、難しいことが多い。
秘密基地のような1つのプライベートな空間を昔のように提供しにくい時代の流れではある。
『愛本店』は、それを提供できる変わらない場でありたい。

若い子たちにとっては、派閥だったり、1人1人「個」が強いお店だった。
今の『愛本店』は、1つのお店・組織・軸としてまとまっている。
現代で言う「オジホス」なりに、もっと親近感が沸くようなホストであったり
お店の空間でもあるので最初から足を踏み入れてみて欲しい。

-壱代表の目指すホストクラブ
壱代表:愛田社長の築き上げた『愛本店』という名前は決してなくしたくない。
ホストクラブは、3~4店舗作っていきたいと思う。
ホスト業だけではなく、ホストとして夢を見てお金を稼ぐ地方から上京してきた子たちに…
ホストクラブ以外にも夢を見させるようなものを提供できるホストクラブでありたい。

『愛本店』のイメージって堅苦しいイメージがあるかもしれないけど、
勇気をもって体入でも見学でもぜひ1度来て『愛本店』を感じてみて欲しい。

壱代表と熱く語りあってみたR氏であった…
とても貴重なお話といお時間をありがとうございました!(土下座)





―P.S.
野口専務ともお写真を撮っていただきました☆

この本を読みつつ、50年間のホストクラブの歴史と『愛本店』の歴史と…
R氏の頭の中はもう大パニックでした。(笑)
何度本を持って、社内を徘徊し発狂していたか…(変人爆誕w)

わたくしの語彙力と、文章力ではかなりの力不足となってしまった気がしますが!
色々な方に身近に少しでも50年間のホストクラブの歴史に興味を持っていただけたらなと…

それにしても現在、歌舞伎町入り口にあるドン・●ホーテが昔は銀行だったのを
なぜか覚えてるくらいどうでもいいことしか頭に残らないポンコツ脳(末期w)

お許しを!!

そして、ふむふむと思ったこともたくさんありましたね…

「コロナ渦の第一波が収まり、ホストクラブ業界では求人への応募数も以前のように
増えてきてるという。コロナ渦によって職を失った者たちが、大金を手に入れることを夢見て
全国から続々と集まっているのだ。その中で、歌舞伎町で生きていけるのはほんの一握りだ。
だが、そんな者こそが新たな時代をつくり上げていくというのが、昔も今も変わらないこの街の摂理なのだ。」
(「夢幻の町-歌舞伎町ホストクラブの50年-」P.134?1~?5引用)

「時代は巡る」

まさに、この言葉通りの世の中だなと感じました。
良いことがあれば、良くないことも起きる。
きっと世の中はこうしてバランスを取っているのかもしれないですね。

何はともあれ、今年も残すところもう少しです!(早っ)
暗かった数年間にやっと明るさが戻ってきたところでしょう…

皆さん…!!
1日1日を悔いのないように過ごし、明るく新年を迎えましょう♪
R氏はこうして来年も暴走してゆくぅ~↑(ついてきてね!笑)
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Ran2