ホスホス独占企画 No.87267 | ホストクラブ紹介・ホスト求人サイト ホスホス

ホスホス独占企画
独占企画
2022年5月31日(火)
【夜王を超えた男、手塚マキ】~倉科遼×手塚マキ コラボによる作品が遂に発表★~
【夜を生きる ~歌舞伎町ホスト 手塚マキ物語~】の連載開始と舞台化同時決定に伴い実現した、ホスホス限定独占インタビューをお届けします!

PN/A→★(ホスホス新宿本社スタッフ)
歌舞伎町ホストクラブ
東京都新宿区歌舞伎町2-28-15 サチビルB1F
TEL:03-5155-2911
ギャラリー


「夜王を超えた男、手塚マキ」
~倉科遼×手塚マキ コラボによる作品が遂に発表★~




新宿本社スタッフのA→★です。


皆さんは、歌舞伎町のようなネオン街を舞台にした漫画を読んだことはありますか?


【女帝】・【夜王】・【嬢王】と、手がけた作品が次々と話題になるヒットメーカーの漫画原作者、倉科遼先生。そんな倉科遼先生が、漫画原作者人生における最後の新作を出されるとの情報が入ってきました💫


なんと今回は、史上初の試みとして、原作・舞台・漫画まで作ってしまうという、かなりハイブリッドな作品作りをされるとのことなんです✍

そしてその作品を作るきっかけとなった手塚マキさんにも、今回お話を伺ってきました🎩



夜モノを日本で初めて作った漫画界の夜王・倉科遼先生と、そしてその作品に深くかかわりのある、ホスト界の夜王『スマッパ!グループ』会長の手塚マキさんによる、スペシャル独占インタビューをどうぞご覧ください🔥







―倉科先生ご自身に関してご質問させてください。
青年誌時代にはバンカラ系の漫画を書かれていたと思うのですが、 後にネオン街系というジャンルを選んだ理由について、お伺いできますでしょうか?

倉科遼先生(以下・敬称略)
僕正直言うと、今は原作者ですけど、漫画家だった時代があるんです。本名を逆にした「司敬」(つかさ けい)という名前でね、自分で漫画を書いてました。当時ヒット作を3本くらい出したんですよ。それがいわゆるバンカラ漫画だったんです。20代後半から、30代半ばにかけてですね。でもヒット作を出したものの、次に何を書いたらいいのかわからなくなってしまい、悩みましたね。それで漫画を書くのはもう辞めようと思いました。そして、引退後の働き場所を作るために仲間と会社を立ち上げました。30代後半です。この頃は漫画をいつ辞めてもいいやと思ってましたね。会社を立ち上げてまず始めにしたことは、営業活動です。ところが、その活動をして自分が知らなかった世界の方々とお会いするとストーリーが浮かぶんです。その時、気がつきました。話が出来なかったのは、漫画を読んでマンガを描いていたからなんだと…。他の漫画家のフィルターではなく、自分が体験・経験して、自分のフィルターを通して物を書く。それがオリジナルなんだと気付いたのです。その営業活動を通して知り合ったとある会社の社長に、銀座に行こうと誘われたことがきっかけで、原作者としての道を開いていくことになるんです。まさに人生の転機でしたね。




―先生ご自身の中で漫画に対する様々な葛藤があったんですね。
(倉科)ありましたね。有難いことにトントン拍子に漫画家になれてしまったので、なってからの方が苦しかった。司 敬として漫画を書いていた時代は、もがきもがきの人生でした。




―倉科先生は中学時代、走り高跳びに没頭していたとお聞きしました。
(倉科)よくご存知ですね(笑)私自身、色んな事情があって複雑な家に育ったので、東京の高校に出されたんですが…。東京での生活はすごく過酷でしたが、中学時代、陸上を3年間、実質2年半頑張った経験が漫画を作る上でもすごく役に立ったと感じています。実は、手塚さんが川越高校時代にラグビーに没頭していたという点と、自分が陸上競技・走り高跳びに没頭していた点が自分と重なる部分がすごくありました。スポーツにひたすら打ち込むという姿がね。その後“燃え尽き症候群”になるというところも(笑)それが手塚マキさんという人物に、そして【新宿・歌舞伎町 人はなぜ〈夜の街〉を求めるのか】という本に引き込まれたきっかけだったんです。







―今回手塚マキさんが主人公の漫画を書かれたということなんですが、手塚マキさんにオファーされた理由について詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか?
(倉科)一昨年の暮れに、子供と一緒に書店に行ったんですよ。必要な物を買ってレジに並んでいたら、手塚マキさんの新書【新宿・歌舞伎町 人はなぜ〈夜の街〉を求めるのか】が置かれていたのを見つけたことがきっかけでした。タイトルが面白そうだし、歌舞伎町ホストには【夜王】以来、未練を持っていたので咄嗟に手に取ってお正月休みに読みました。近年読んだ本の中で1番感情移入したのは、間違いなくこの本だと断言できますね。この書籍を読み終えた時、私自身、手塚マキさんという人物に思い入れがすごく出来た。【夜王】を終えてから10年以上経ちますが、「もう一度ホスト物を書きません?」「ホスト映画の原作をお願いします。」というお話は何度もありました。自分はもうホスト漫画を書くことはないだろうなと思っていました。しかし、この書籍は漫画にして出版するべきだと強く感じ、手塚マキさんにオファーをしました。




―手塚マキさんの新書と、運命的な出会いを果たしたのですね。
(倉科)はい。実は、原作を考え終わって漫画家は誰にしようかと考えた時、ふとある人物が浮かびました。“柳葉あきら”という漫画家です。元担当編集者だったのですが、自分も漫画を描くことが大好きな人で、後に漫画家として独立した方です。40年来の友人です。もうこの作品で漫画に携わるのは本当の最後。「俺と君と40年近いの付き合いの最後の思い出作りにしよう。」と告げ、彼にお願いをしました。




“ だから、これはもう最後の作品なんです。
この手塚さんのお話しが私にとっては
漫画原作者人生において、最後の漫画です。 ”









―倉科先生は、ホストという職業に対してどのようなイメージがありましたか?
(倉科)私が知っているホストといえば、やはり悪いイメージばかりでした。“元暴走族”、“オラオラ系”、“女を騙す輩”等々…。でも漫画原作者として、そして今作を作るにあたってどういうホストを書いたらいいかと考えた時に、女を騙すというなら「騙さないホスト」。女を転がすというなら、場合によっては自分が水に沈んでも「女の子を守ってあげるホスト」など、今まで自分が抱いていたイメージとは逆のホストを描くことで、逆に新鮮な絵になるのではないかと考えました。そして、出した作品が【夜王】です。今作は【夜王】の世界に、よりリアルな人間像が加わったと思っています。手塚マキというリアルな人物像が…。




―舞台化についてお伺いしたいのですが、漫画が先に出来て舞台化するということは数多くあると思うのですが、 今回漫画が連載される前に舞台も一緒に決定されているのは初めてですか?
(倉科)こういう形は初めてです。自分は65歳くらいから舞台制作をして来ました。これまで十数本作って来ました。もう舞台人と言っていいかもしれませんが、舞台をやるために、逆算して漫画を起こしていくというのは初めてです。これは余談なんですが、何故芝居に魅せられたかというところをお話しすると、原作者って基本的には1人で完結しちゃうんですよ。編集者に渡せば、その後は編集者と漫画家の世界なので…。でも舞台っていうのは、脚本家に協力してもらい、演出家に演出してもらって、照明、美術、音響が入って、役者の方にも助けて頂いて、初めて1つの芝居が出来る。この作業が自分はすごく嬉しくて感動するんです。そこが舞台の醍醐味だな、と私は感じていますね。




―手塚マキさんを描く際に、こだわりはありましたか?
(倉科)手塚さんを対象としているけれど、やっぱり自分の思いもあるんですよね。自分を投影しないと、それは倉科ではないんですよね。つまり、倉科というフィルターを通してこういう風に解釈して、こういう風に書きました。というのが、倉科遼作品なんですよね。 手塚さんの真っ直ぐな生き方に共感しました。ホストの世界でもこういう生き方をする人間がいるんだというのに驚かされ、感動を覚えました。それを舞台でも描ければ…描きたいと思っています。




―今回の舞台の見どころを教えてください。
(倉科)ホストさんは職業柄、誰もがナンバーワンを目指している。そこまでは、ナンバーワンになるという目標があるから頑張るけど、ナンバーワンになってしまったら今度は維持しなければならない。でも、維持していくっていうのはすごく大変なことですよね。そういったニュアンスを作品に盛り込めるよう、今作の原案を考えました。ナンバーワンという意識に翻弄されていく手塚マキさんがいて、その葛藤する部分を上手く取り持つような形で「オカマのみなみちゃん」というキャラクターをつかず離れず出すんですけど、このみなみちゃんのシーンというのは舞台になった時にすごく感動的なシーンになると思います。







―(手塚)過去に漫画や舞台で原案があるものはありましたか?
(倉科)私の代表作【女帝】は、舞台化したことはあります。他に数作、自分の漫画を舞台化して来ました。

(手塚)舞台を始めたきっかけは?

(倉科)実は、NHK朝ドラの「カーネーション」なんです。2011年にNHKで放映された連続テレビ小説「カーネーション」のモデルとなった、世界的デザイナーのコシノ3姉妹の母である小篠綾子さんの生涯を、2014年に舞台「おかあちゃん ~コシノアヤコ物語~」として舞台化しました。私の友人のプロデューサーから原作を依頼されて…。それが舞台に関わるきっかけです。既にNHKで放映されたお話しで、もちろん皆さんご存じですし、ヒロコ先生達も実在していらっしゃるので…漠然とどうすればいいんだろうと。色々資料を読んで(倉科遼として)ドラマ版と違った視点からどういう風に舞台としてアレンジするか、とても悩みました。実際にコシノ3姉妹が舞台を見に来て下さり、終演後にご挨拶をさせて頂く機会がありました。その際に、コシノさん姉妹が感動して「今回の舞台はすごく良かった。やっぱり倉科先生の原作よね。」と言って下さって、そのお言葉が本当に嬉しくてね(笑)この1作で完全に舞台に魅せられて、火が点いてしまいました。 それから私は、これからは舞台の原作・原案制作を自らの手でしてみたいと思い、一から勉強しました。




―最後にホスホス読者様に向けて、メッセージをお願いします!
(倉科)「夜王を終えて10年。夜王を超えるものは書けないと思っていた私に もう1度ホストを書きたい、と思わせてくれた手塚マキさんの魅力を今作を通して存分に知っていただければと思います。漫画、そして今秋から開幕予定の舞台、どちらもぜひご覧ください。」

(手塚)「水商売の地位を世に広めて下さった1番の功労者である倉科遼先生が、漫画原作人生最後の作品を作って下さった。それはこの水商売業界にとっても、僕自身にとっても、大変有り難く喜ばしいことだと日々実感しています。先生の代表作品である【女帝】・【夜王】・【嬢王】の3作を読んで頂いてから、【夜を生きる~歌舞伎町ホスト 手塚マキ物語~】をお読み頂けたら嬉しいです。」








ーあとがき
【夜王】の麗美(レミ)がついに亡くなったという回があるのですが、実は当時泣きながら書いてました。麗美が亡くなってしまうのが本当に切なくて悲しくて辛かったんです。ですが、自分が泣ける作品というのは自信を持って世に出せるという確信があったんですね。【女帝】と【夜王】は、自分の子供達に【女帝】と【夜王】の主人公の名前“遼介”と“彩香”と名付け、後年、君らが大きくなったら読んでねって言ってるんですよ。そう言うと大学生の息子が、「言われなくても、もう読んだよ。」私が「どうだった?」と聞いてみると、「感動したよ。すごく良い仕事をしてるんだね…」と、褒めてくれたのが今でもすごく心に残っています。実はそれが、大学生になった息子との最初の会話だったんです。ずっと辞めたいと思っていた漫画が、こういった形で感動を与えているんだなと思うと、やはり胸にじんとくるものがありますね…。






夜の帝王が揃った何とも豪華な対談に、インタビュアーとして同席させて頂くという大変貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました🙇‍♀️
随時関連するニュースをアップさせていただきますので、チェックしてくださいね🪄

漫画【夜を生きる ~歌舞伎町ホスト手塚マキ物語~】は、【小説幻冬】6月号(2022年5月27日発売)より連載スタートです‼️ぜひお見逃しなく💫




【Profile】
■倉科遼(くらしな りょう)
日本の漫画原作者、元漫画家。1950年生まれ、栃木県出身。
水商売モノ(ネオン街モノ)を得意としてネオン劇画の開祖とも言われる。
1971年、「司敬」名義で漫画家としてデビュー。
青年誌を中心に活動し、幾多のヒット作を手がける。
次第に漫画家として行き詰まりを感じるようになり断筆後、「倉科遼」と改名し、心機一転、漫画原作者を専業として再起する。
原作作品の多くは女主人公のネオン劇画もので、代表作は【女帝シリーズ】・【嬢王】、男主人公は【夜王】など。
短期間でたくさんのヒット作を生み出したのは、ギネス級と言われている。

■手塚マキ(てづか まき)
歌舞伎町でホストクラブ、バー、飲食店、美容院など十数軒を構える「Smappa! Group」の会長。
歌舞伎町商店街振興組合常任理事。JSA認定ソムリエ。
1977年生まれ、埼玉県出身。1997年から歌舞伎町で働き始め、ナンバーワンホストを経て、独立。
ホストのボランティア団体「夜鳥の界」を仲間と立ち上げ、深夜の街頭清掃活動を行う一方、NPO法人グリーンバードでも理事を務める。
2017年には歌舞伎町初の書店「歌舞伎町ブックセンター」をオープンし、話題に。
著書に、【自分をあきらめるにはまだ早い】【裏・読書】(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)
【ホスト万葉集】(共著、講談社)がある。




撮影
TOM.T(新宿本社スタッフ)

インタビュー&文章
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